Ur-(原)の日記
ふと大学のドイツ語の先生のことを思い出す。「私は今年で退官します」彼女は授業冒頭でそう言った。入学したての私と長年教鞭を取ってきた彼女の時間が交わる一瞬が、とても儚くて大事なもののように感じた。「Wie heißen Sie 」ドイツ語は頭の中からすっかり抜け落ちたが、初めに覚えた「お名前は?」というフレーズだけは彼女の声と共に頭の中でリフレインする。
こんな記憶は『言葉を歩く日記』を読むまで何年も思い出されることはなかった。それなのに一月十九日の日記の「Liebe(愛)」というたった一語を見たときに急に先生の声と共に蘇ってきた。記憶というものは自分が思っているよりも世界のあちこちに埋め込まれているものなのだろう。
人やモノや言葉、何かと出会った時に私は思い出す。いずれ思い出されるであろう原風景を求めて生きている。
いつ忘れてもいいための日記
3月19日。
「俺、いつ仕事できひんくなるかわからんから」と上司がぼそっと言った。「病院に行ったら、リウマチやったわ」と笑顔で。
上司のいない仕事を想像しながら思考がぐるぐる巡る。人生は有限だなんてわかってはいる。わかってはいるけど、実際、そうは思っていない。人生は有限ですとか、なにかの節目を認識するのは、明確な終わりを仄かにでも感じたときなのだろう。そのうちやってくる区切りを意識していたら、多和田葉子の『言葉と歩く日記』を思い出す。なんだっけ、あの一節。帰宅、即、本棚へ。
「わたしにとって言語というものが他のテーマと結びつき、身体にうったえてくる時のみ、意味を持つということなのだろう」。
蕾がパンパンに膨らんだ桜の枝をガラス瓶に挿す(切り口は45度)。風呂上がりの暮れた西の空に爪のような月が浮かぶ(ため息ではなく深呼吸)。今日は金曜日だから何?明日も仕事(週休2日は経済の夢を見るか)。煮詰めていたブリ大根が焦げた(料理中のうたた寝が原因)。
なんでもないような出来事のおかげで、その日が人生に一度しかない日になる。ささいで役に立つかわからないけど、いつ忘れてもいいように、日記をつけている。
2020年8月5日
6月いっぱいは忙しい日々が続く。忙しいのは仕事ではなく、仕事後で、ほぼ毎日2時前に寝6時30分に起きる生活リズム。習得したいこと、楽しいことをやっているのだから、うれしいわけなのだけど、できることなら、Eight Days A Weekになってほしい。
久しぶりに時間ができたから、いつものコーヒー屋に行って、おっちゃんに勧められた豆を買う。パナマのベルリナ農園のゲイシャと東ティモールのマウベシ・ピーベリー。オーダーしてから焙煎がはじまる。コーヒー豆が出来あがるまであいだ、スーパーで食材を買う。別段特別なことはない、いつもどおり一週間分の食材を仕入れる。ここでは、鶏モモ肉、豚細切れ、プレーンヨーグルト、トマト、ほうれん草。ほかの野菜は直売所で買いたいから、これでスーパーでの買い物を終えて、コーヒー豆を受け取りに行く。「わざわざ遠いところから、いつもありがとう」と、テイクアウトのコーヒーを淹れてくれた。
車を走らせて、マイドライブコースを北へ走る。少し横道にそれて、前々から気になっていた地域をゆっくり、Fat girl slimを聴きながら走る。道沿いの野菜直売所へ入ってみる。ゆったりとした空気の流れるトタン屋根の直売所に、その日に採れる分の、旬の有機栽培の野菜が膝ぐらいの高さの机に平置きで並べられている。野菜の種類も量もそれほど多くない。晴れているのに屋根から水がポタポタ落ちていた。暑いから屋根に井戸水をかけてるんや、とおばちゃんと喋りながら、会計を済ます。そやそや、このにんにく食べてみて、と、会計を済ませ手に持っていたレジ袋に売り物のにんにくを入れてくれた。
峠を越えて川の上流に沿って蛇行する道を走りながら帰路を走る。窓を開けて走るのがちょうどいい。気持ちがよかったのは、気候のせいだけではない。コーヒー屋のおっちゃんや直売所のおばちゃんのおかげだ。この「おかげ」が、コロナウイルス以前からあった現代の社会の問題点に対抗するモデルのひとつだとおもう。この「おかげ」は、無駄のない貨幣経済ちょろっと引っ付いてくる尾ひれである。共同幻想によって完全無欠だとおもっていたシステムを利用しつつ、帳面などの記録に残らない、ひとびとの記憶に残る、あたたかい商いなのである。
そういうお店を生活圏に置いておきたい。
5月18日(月)
修行の日々がまた始まる